この「思考の余韻」というカテゴリーでは、僕の脳内にある形のないもの……思想や価値観、あるいは日々の暮らしを支える「考え方」について、少しずつ整理していきたいと思っています。
第2回となる今回は、僕の人生において、ある種「最強の内部ギア」として機能している、ひとつの心理学についてお話しします。

皆さんは、「アドラー心理学」をご存知でしょうか。 数年前に『嫌われる勇気』という本が社会現象になったので、名前を耳にしたことがある方は多いと思います。そこでは「勇気の心理学」と呼ばれています。
僕は、過去の記事で「本を読むこと」の大切さを綴りました。 20代の半ば、何者にもなれず、ただ漠然とした将来への不安と劣等感に押しつぶされそうになっていた頃、僕は逃げるように自己啓発本を読み漁っていました。その途方もない読書の旅の途中で、僕はアルフレッド・アドラーという男の思想に出会いました。
正直に言いましょう。僕はアドラー心理学を100%理解しているわけではありません。 その深淵はあまりに深く、一生をかけても理解し尽くせる気がしません。けれど、僕は彼の思想を「勝手に、都合よく」利用させてもらっています。
そのおかげで、僕は他人に対する無駄な怒りや苛立ちを捨てることができました。 根拠のない劣等感を整理し、少しずつ自分に自信を持てるようになりました。 そして何より、「今、ここ」から動き出すための行動力を手に入れました。
僕が僕であるための、大切なピース。 アドラー心理学という「思考の道具」について、少し紐解いてみたいと思います。
「目的論」:過去のせいにするのを、やめてみる。
アルフレッド・アドラーが提唱した個人心理学。その最大の特徴は、トラウマを否定し、原因ではなく「目的」に注目する点にあります。
多くの心理学(例えばフロイト的な視点)では、「過去にこんな悲しい出来事があったから、今の自分はこうなってしまった」という「原因論」を取ります。しかし、アドラーはこれを真っ向から否定します。
1. 目的論:過去ではなく「目的」で動く
典型的な例を挙げてみましょう。 「過去にひどい目に遭ったから、外に出るのが怖い(原因論)」 これに対し、アドラーはこう考えます。 「外に出て傷つきたくないという『目的』があるから、不安という感情を作り出している(目的論)」
……いかがでしょうか。初めてこの考えに触れたとき、僕は頭を殴られたような衝撃を受けました。 あまりに厳しく、残酷な言葉に聞こえたからです。
「自分が動けないのは、過去の環境のせいじゃない。自分が『動かない』という選択をしているだけなんだ」
そう突きつけられた気がしました。けれど、この厳しさの裏には、最高の救いがあります。 過去は変えられませんが、今の「目的」は、自分の意志でたった今、この瞬間から変えることができるからです。
「過去がどうあれ、今の僕は、新しい目的を持って歩き出していい」 その許可を自分に出せたとき、僕の目の前は少しだけ晴れやかになりました。
「ライフスタイル」:性格は、いつでも選び直せる。
アドラーは、私たちの性格や世界観のことを、より能動的な言葉で「ライフスタイル」と呼びました。
2. ライフスタイル:性格は「自分で選んだもの」
彼の考えによれば、私たちの性格は10歳前後で、自分自身が「この生き方が、自分にとって便利だ」と判断して選び取ったものです。
例えば、僕がかつて「自分は落ちこぼれだ」と悲観していたのは、そう思っている方が「何かを達成できなかったときの言い訳」として便利だったからかもしれません。 挑戦して失敗する恥ずかしさを味わうくらいなら、「どうせ自分はダメなんだ」と部屋に引きこもっている方が、心は安全に守られます。
アドラーは言います。 もし今の性格(ライフスタイル)が不便なら、「いま、ここ」で選び直せばいい、と。
「自分はこういう人間だから」という呪縛を解くのは、他ならぬ自分自身なのです。 これは非常に前向きな、そして「変われない」という言い訳を一切許さない、究極の自立のスタンスです。
「課題の分離」:対人関係の毒を抜く。
僕がアドラー心理学を「利用」して、最も恩恵を受けたのがこの考え方です。 「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とアドラーは断言しています。そして、その悩みを解消する特効薬が「課題の分離」です。
3. 課題の分離:対人関係の悩みを解消する
考え方はシンプルです。 「これは、誰の課題か?」 それを峻別し、他人の課題には踏み込まない。そして、自分の課題には誰にも踏み込ませない。
例えば、YouTubeに動画を投稿したとき、誰かが僕を批判したとします。 「つまらない動画だ」「声が気に入らない」 以前の僕なら、その言葉に深く傷つき、相手を恨んだり、好かれようと必死に自分を曲げていたでしょう。
けれど、課題の分離を学んだ今はこう考えます。 「動画をどう評価するかは、他人の課題であり、僕がコントロールできることではない」 「僕の課題は、今の自分にできる最高の動画を作ることだけだ」
相手が僕をどう思うかは、相手の勝手。 そこに介入しようとするから、苦しくなるのです。 自分にできること(自分の課題)だけに集中する。これだけで、人との関わり方は驚くほどシンプルに、そして穏やかになります。
「共同体感覚」:幸せのゴール地点。
では、課題を分離してバラバラになればいいのかというと、そうではありません。 アドラー心理学が目指す幸福の最終形は、他者を敵ではなく「仲間」と見なし、自分は共同体の一部であると感じる「共同体感覚」にあります。
4. 共同体感覚:幸福のゴール
この感覚を手に入れるには、3つのステップが必要です。
・自己受容:できない自分を、嘘をつかずにそのまま受け入れる。 ・他者信頼:裏切りを恐れず、無条件に他者を信じてみる。 ・他者貢献:誰かの役に立っている(自分には価値がある)と実感する。
僕はこの「他者貢献」という言葉に救われました。 自分の価値を、他人の評価から探すのではなく、「僕は誰かの役に立っている」という自分の主観的な感覚の中に置く。 僕がYouTubeで動画を発信したり、このブログを書いたりしているのも、根底にはこの「他者貢献」があります。
たとえ一人の誰かにしか届かなくても、その人の「浪漫」を呼び起こすきっかけになれたなら、僕には価値がある。 そう思えるだけで、僕の人生の幸福度は劇的に向上しました。
幸せにならない「勇気」
20代中盤の頃の僕は、「生きていくのは大変だ」「自分は落ちこぼれだ」と人生を悲観し、泥のように眠る日々を送っていました。 偶然にも、その頃から飲み歩く中で多様な友人と知り合い、彼らの生き方に触れ、「自分も何かしなければ」と突き動かされるようになりました。
本を読み、アドラーに出会い、気づいたことがあります。 「私は幸せになるんだ」という勇気を持てなかったのは、他ならぬ僕自身だったのだと。
アドラー心理学では、「幸せでない人は、幸せになりたくない人だ」という、耳を塞ぎたくなるような言葉が出てきます。 幸せになるには、「今まで通りの不幸な自分」を捨てるリスクを取らなければならないからです。不幸でいる方が、楽で、変化を伴わず、ある意味では安全だからです。
けれど、僕は言いたい。 「勇気」さえあれば、人は今日からでも、たった今からでも、幸せになれるのだと。
「大切なのは、何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。」
アドラーのこの格言は、僕のデスクの片隅にいつも置かれています。 完璧な自分なんていらない。 不器用で、欠点だらけの自分。 それでも、今持っているこの「手札」をどう使って、今日という日を彩るか。 それこそが、僕たちの「ロマン」の正体ではないかと思うのです。
学びの入り口として。
もし、この記事を読んでアドラー心理学に興味を持ってくださったなら、僕からおすすめの学び方があります。
まずは、定番の『嫌われる勇気』(岸見 一郎 / 古賀 史健 著)をじっくりと読んでみてください。対話形式で、僕たちが抱える「納得できない想い」を代弁してくれます。 その後、『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』(小倉 広 著)を読むと、要点が短くまとまっていて、日々の復習として最高に機能します。
今回は、アドラー心理学のほんの0.1%程度のエッセンスをご紹介しました。 不格好でも、矛盾だらけでもいい。 「幸せになる勇気」を持って、一歩だけ踏み出してみる。 そんな小さな挑戦の積み重ねが、いつか僕たちの人生を、想像もしていなかった場所へ運んでくれると信じています。


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