こんにちは、ソウスケです。
「CAREER 挑戦の軌跡」で私の泥臭い過去を晒し、「LIFE 思考の余韻」でロロマクラシックという相棒との密な時間について綴ってきました。今日、この新しく用意した「LOG 思考の余韻」という場所で最初にお話ししたいのは、このサイトの名前であり、私のYouTubeチャンネルの名前でもある、あの言葉についてです。
「ロマンは矛盾だらけ」。
なぜ、私はこの言葉を掲げたのか。 それは、私という人間が、そして私が愛してやまない「モノ」という世界が、あまりにも多くの矛盾を孕んでいるからです。今日は少し腰を据えて、私の脳内を支配する、整合性のとれない「好き」の正体について、独白させてください。

ミーハーさと深淵の、危ういバランス
私は、モノが大好きです。 ガジェット、文房具、革製品、時計、カバン……。いわゆる「男の子が好きなモノ全般」に対して、驚くほどアンテナが敏感です。新しいiPhoneが出ればソワソワし、話題のバックパックが発表されればスペック表を食い入るように眺める。自分の中に、隠しきれない「ミーハーさ」があることは自覚しています。
けれど、ただ新しいものが好き、流行っているものが好き、というわけでもありません。 一度そのモノの魅力に触れると、私はその背景にあるストーリーや、作り手の思想、素材の出所といった「深淵」を覗き込まずにはいられないのです。
私の中には、自分でも説明のつかない、非常に狭く鋭い「スイートスポット」が存在します。 そのスポットに「カチリ」とハマった瞬間、私は周囲の目も、流行も、合理性も、すべてを置き去りにして、そのモノに飛びついてしまうのです。
「純正感」という、得体の知れない基準
例えば、素材の話をしましょう。 このサイトの随所に現れるように、私は「レザー製品」や「真鍮製品」を偏愛しています。しかし、レザーであれば何でもいいわけではありません。
私の中に確固たる基準としてあるのは、「純正感」という言葉です。
これは非常に言語化が難しい感覚なのですが、あえて言うならば「素材そのものが、そのモノとして存在する必然性」のようなものです。余計な装飾でごまかさず、素材の良さがストレートに伝わってくること。そして、その素材が歩んでいくであろう「未来」を想像させてくれること。
私は、新しいモノを手にした瞬間、無意識に脳内で「10年後のシミュレーション」を始めます。 「こいつと10年、雨の日も風の日も共に過ごしたら、どんな艶を放つのだろうか」 「あの真鍮のパーツと、このレザーが組み合わさった時、使い込まれた鞄の中でどんなコントラストを生むだろうか」 「このカバンに入れて、お気に入りのカフェで取り出した時、私は最高にクールな気分になれるだろうか」
そんな想像が、凄まじいスピードで頭を駆け巡り、最後は論理ではなく「直感」がGOサインを出します。 これが、私のモノ選びの正体です。しかし、この直感こそが、私を矛盾の渦へと突き落とす原因でもあるのです。
最新とビンテージ、清潔と無骨。引き裂かれる感性
私の最大の矛盾。それは、相反する二つの要素を同時に、そして同等に愛してしまうことです。
例えば、私はApple製品のような、削ぎ落とされたミニマリズムと「最新のテクノロジー」が大好きです。アルミの冷たい質感、寸分の狂いもない加工。それらは間違いなく私のスイートスポットを突いています。 しかし同時に、私は古いカメラや、傷だらけのビンテージ家具、誰かが何十年も使い込んだかのような「こ汚い(失礼、味のある)」モノにも、抗いがたい魅力を感じてしまいます。
「綺麗なモノ」が好き。けれど、「汚れたモノ」も好き。 「無機質なモノ」が好き。けれど、「温かみのあるモノ」も好き。
普通であれば、どちらか一方に傾倒するはずです。ミニマリストを極めるか、ビンテージコレクターになるか。 けれど、私はその両方を、同じ熱量で求めてしまう。 最新のMacBookの隣に、思想が詰まったアナログの手帳を置く。その矛盾した光景にこそ、私は自分だけの「浪漫」を感じてしまうのです。
荷物は少ない方がクール。でも、全部持っていきたい。
さらに、実生活における滑稽な矛盾もあります。 私は「ミニマルな装備でスマートに歩く男性」を、心からクールだと思っています。必要最低限のモノだけをポケットに忍ばせ、身軽に街を闊歩する。その姿に憧れ、何度も「荷物を減らす挑戦」をしてきました。
けれど、結果はどうでしょうか。 私には愛着のあるモノが多すぎるのです。 「今日は使わないかもしれないけれど、この万年筆を持っていかないと心が落ち着かない」 「Camp Snapを持っていけば、面白い景色に出会えるかもしれない」 「ロロマクラシックは、もはや体の一部だから外せない」
そうやって「相棒」たちをカバンに詰め込んでいくうちに、私の荷物はどんどん増えていきます。 「荷物が少ないのが正義だ」と頭で理解しながら、ずっしりと重いカバンを肩にかけ、中身がパンパンに詰まった感触に満足している。 「重い。けれど、気分は最高に良い」。 客観的に見ればおかしいですよね。でも、これが私なのです。
永遠にループする「マイ・トレンド」の波
この矛盾は、私の中で一定の周期を持ってループし続けています。
ある時期は「究極のミニマリズム」に傾倒し、小さな小さなカバンだけで過ごそうとします。しかし、しばらくすると反動がやってきます。 「やっぱり、あの重厚なレザーの質感が恋しい」「もっとたくさんモノを詰め込みたい」 そして、大きなカバンブームがやってくる。その波が去れば、また中くらいのカバンが欲しくなり、ナイロンの軽快さに惹かれたかと思えば、またレザーの重みに戻っていく。
私は、この自分でも制御できない「波」と付き合い続けてきました。 かつては「自分には一貫性がないのではないか」と悩んだこともありました。けれど、今は違います。 この波そのものを最大限に楽しみ、乗りこなすこと。それこそが「ロマンは矛盾だらけ」という生き方なのだと、開き直ることにしたのです。
本質的な「好き」を探す旅
矛盾を抱え、波に揺られながらも、私は探し続けています。 自分にとっての本質的な「好き」とは何なのか。
先程述べた「純正感」というキーワードは、その旅の中で見つけた大切な気づきの一つです。 最新かビンテージか、大きいか小さいかといった「形態」を超えて、私の魂を揺さぶるモノには、共通して「嘘がない」という感覚があります。
このブログのトップページには、そんな私の「矛盾」を通り抜けて、今この瞬間に私の人生を支えてくれているアイテムたち(My EDCs)を並べています。 また、「GEAR 道具の浪漫」コーナーでは、一つひとつのモノとどう出会い、どんな矛盾を抱えながら愛しているのかを、さらに深く掘り下げて紹介しています。
私がモノを選ぶ基準は、他人から見れば支離滅裂かもしれません。 けれど、その支離滅裂な欠片を一つひとつ繋ぎ合わせていくと、そこには「ソウスケ」という人間の輪郭が浮かび上がってくる。
モノを愛することは、自分を知ること。 そして、自分の矛盾を許容することは、人生を豊かにすること。
私はこれからも、この矛盾だらけのロマンを、時にはミーハーに、時にはストイックに、楽しみ尽くすつもりです。 次はどんな波が私を襲うのか。どんな新しい矛盾と出会えるのか。 私自身、楽しみで仕方がありません。
さて、今日の思想の雑談はこの辺で。 あなたのクローゼットやカバンの中にも、きっとあなたを悩ませる「愛すべき矛盾」が眠っているはずです。
よかったら、他の記事も覗いてみてください。私の矛盾の断片が、どこかであなたのロマンと共鳴することを願っています。
それでは、また次の「余韻」でお会いしましょう。


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